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風をつかまえた少年

 

台風が関東に近づいていますね。通勤通学時間にかかると思いますのでくれぐれも安全にお過ごしください。なんなら、時間をずらすとかお休みできるといいですね……!

 

原稿を一本あずけられたのと、義母が落ち着いてきたので、KBCシネマ上映の「風をつかまえた少年」と「存在のない子供たち」を続けて鑑賞してきました。どちらも、この夏、映画館で観たいと思っていたものですが、どちらかというとレバノン発信の、俳優の男の子もシリア出身と前情報で聞いていた「存在のない子供たち」(原題:カペナウム)は必ず観ようとチェックしていました。

もう一方の「風をつかまえた少年」は最終週ギリギリの上映でした。久しぶりに見逃さなくて良かったと思えるほどの作品でした。(もっと早くに観て、福岡の周りの人にも伝えていたらと悔やまれます)

 

「風をつかまえた少年」は、実話を元に映画化されたもので、アフリカのマラウイを大干ばつが襲い、それを一人の少年の発明力が救った話でした。……と簡潔に書くだけだと、サクセスストーリーだよなーと穿って観ない人も多いかもしれませんが、いやいやそんな先入観はぬぎすててください。

わたしが注目したのは主人公ウィリアムのお父さんです。

 

ウィリアムのお父さんは、これまで器用に生きてきた人ではありませんが(例外は美人のお母さんをお嫁さんにできたことぐらい、と思わせるセリフはある)ウィリアムにとって別に悪いお父さんではありません。一家を守ろうとする真面目でひたむきなお父さんです。でもそのお父さんの性格により、大干ばつで追い詰められる家族をさらに追い詰めていってしまう流れがきちんと描かれていて、そこがわたしはとても良いなと感じました。一家をほろぼすのは悪いお父さんばかりではない…というのがですね。

 

ひとつを例にあげれば、中盤、ウィリアムのお父さんは、貧困にあえぐ家族を救うためと街へデモに行こうとする群衆のトラックに乗ってしまいます。その留守中、お母さんと姉だけ残された時間に家は村人に襲われ、やっと収穫したばかりのわずかな不出来なトウモロコシまで根こそぎ持っていかれてしまいます。

そのあともお父さんは、かたくなに目の前の乾いた畑を開墾しようと必死になるばかり、ウィリアムが学習し村を救えると確信したことを(想像と理解がおよばなくて)なかなか受け入れられませんでした。

それは見たまま聞いたままをすぐうのみにしてしまうこと、自分のなかの先入観、父親としての威厳、そうしたものがジャマをしていたんですね。

 

遠いアフリカの、約二十年前に実際に起こったできごとですが、わたしはリアルに”いま”のわたしたち周辺、とくにネットのなかに同じあやうさを感じました。

‬ ‪拡散されやすい言葉の一片だけを利用したり判断しているうちに、多くのウィリアム少年(のような光ある人)を追い詰めている気がしてならないのです。マラウイの村はまだ雨ごいが信じられている? のか? という描かれ方は現代人への警告のようにも感じました。

 

例えばその人が10の発言をして、ひとつ大きく間違っていたとしても、残りの9の力で未来が開けるかもしれないものを根こそぎうばっていくようなこと、これまでに、心当たりはないでしょうか。

その結果、結局、自分たち自身がどんどん苦しいところに追い詰められていないでしょうか。

大人の感情的なふるまいをマネした子供が同じようなことをせまい教室で展開していないでしょうか。

そんなあやうさをこのところずっと感じています。
そうした思いに答えてくれる映画でした。

 

わたしの感じたことは映画のなかのほんの一部ですから、まだ上映中の地域の皆さんはこの映画を観て感じたことを教えてほしいなあと思います。

日本でも、ご本人の著作の翻訳版と児童書が出ているようです。(もしや児童書界隈で読みのがしていたのはわたしくらいかもしれませんね……もったいなかったです)映画と出版物がどう違うのか読むのもこれから楽しみです。

「存在のない子供たち」ももちろんおススメ作品です。

 

(移動中にざざっと書いたものをとりいそぎアップしました。あとで気がついた誤りや不足分は修正を入れますゆえ)

 

ソーサク部屋   2019/09/08   xyz

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