SNSで、医療関係者がその良心の元に、一所懸命ワクチンの有効性を説いたり伝えようとしているの見かけるたびに頭が下がる思いです。
ただでなくてもお忙しいでしょうに。
わたしならつい「受けたくない者は受けんでいいわ。あっほらし」で放っておくのですがね、赤の他人にまで諦めずにトクトクと伝えようとしていますね。
もしもですよ。仮にもしも、新型コロナのワクチン類に重篤な欠陥があとから出てきたとして――
後遺症で悩むことになったり、寿命が縮まったり、はたまた5Gに操られたり(苦笑)、わたしは受けたことを後悔はしないですよー。おそらくですね。
なぜなら答えは簡単で医学の進歩を信じているからです。
ワクチンや薬が誕生する前のクスリに同等するものってなんだと思います?
口から摂りこむもの。つまり、食べ物ですよね。
薬草も含まれています。
古来から、ヒトは目新しい食べ物ひとつだって口にするのは怖かったし毒になることはあったし、果敢に一つひとつ確かめたり、運悪く中って亡くなったり……茹でてみたり漬けてみたり、中和したり消毒したり解毒させたりして、たくさんの試行錯誤と学習をしてきて知識を蓄え、ずずーーっとあとの子孫のわたしたちは最初から危険なんてこれっぽっちも意識せずに多くを食べられるようになっているのですよ。
まあたまに先祖返りのようにアレルギーというしっぺ返しがありますがね。
進行の未知のウイルスに対しても向かい方は同じだとわたし自身は捉えています。
それがもし陰謀満載の故意に作られたものだとしてもね。
店頭に並んでいる食べ物だって、食べやすいようにヒトが改良に改良を加えています。
賢い試行錯誤を繰り返す先に、また将来、救われるひとがいると考えたらいいんじゃないですかね。
ダメですかね。
さて。少し前、母よりびわが宅配で届きましたので写真をアップしておきます。
わたしがあんまりびわびわ言っていたので呆れて送ってくれたのでしょう。
母はこのブログは見ていないですが(ネットしないしパソコンは扱いません)、父が伝えたのだと思います。
服用中のキッツイ薬がさらにふたつぶ減ったそうです。
検診の翌日にはさっそく庭の手入れを始めたとか。
そもそも肺炎が酷くなったのも、足腰の衰え防止のために行っていた日課のウォーキングだったのです。寒い日にもつい歩いてしまったようで。
(長年、縫製仕事をつづけ、繊維くずで肺を傷めていた上に)
その精神力たるや~~~敵いませんね、
心配して損した! という気持ちにまんまとさせられた感じです。もちろん結果的にそうであって、かなり危なかったのは事実ですし、母も相当しんどかったと思うしここまでは大変だったのですけれど。
うーーーん、なんていうか、まだまだわたしの器は脆弱性だらけなんだなーとあらためて感じたのでした。
追記
お時間がありましたら、びわの効能もぜひ調べてみてくださいね。